ノーマライゼーションからインクルーシブ社会へ

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こんにちは、詩の郷です。

社会の中で暮らしていると、「これはちょっと難しい」と感じる瞬間があります。
誰かにとっては“ふつう”のことが、ある人にはうまくいかない。そんな場面が、実は日常のあちこちにあります。

だからこそ、すべての人が社会の一員として関われる仕組みが必要です。
今回は、「ノーマライゼーション」から「インクルーシブ社会」への流れをたどりながら、 “ともに暮らす”とはどういうことかについて考えたいと思います。

社会の中で感じるズレと疎外感

電車に乗ったとき、書類を書くとき、誰かと話すとき――。
社会の中で交わされるルールや空気に、「うまく合わない」と感じることがあります。
障がいのある方にとっては、段差や音の刺激、見えにくい手続きのルールなど、 日常的な困難も少なくありません。それらは場合によって、日常生活を大きく揺るがす深刻なものになります。 「自分は社会の輪の外側にいるのかも」という疎外感へつながります。

それは障がいのある方に限らず、高齢の方、外国にルーツを持つ方、 子育て中の方、病気を抱える方など、さまざまな人に起こりうることです。
社会の仕組みが、ほんの少し誰かの事情に合っていないだけで、 その人が参加しづらい状況や、声が届きにくい立場に追いやられたりします。

分けない暮らしをめざしたノーマライゼーションのはじまり

ノーマライゼーションとは、「障がいのある人も、地域の中で当たり前の生活を送ることができる社会を目指そう」という考え方です。
1950年代のデンマークで生まれました。
障がいのある子どもたちが施設の中で隔離されていた時代、「この子たちにも、地域の中でふつうに暮らす権利がある」という声が上がったのがはじまりです。

それは、「特別なことをする」というよりも、「特別にしない」という考え方。
障がいがあるからといって、生活の場所や人間関係を分けられてしまうのではなく、地域の中で、朝起きて、ごはんを食べて、誰かと話し、眠る――そんな日常をともに過ごすことです。

このノーマライゼーションの精神は、やがて福祉制度や支援のあり方に大きな影響を与えていきました。

分けない社会から、誰もが参加できる社会へ

インクルーシブとは、英語の「inclusive(包み込む)」という言葉から来ています。
障がいの有無に限らず、文化、性、年齢、信条、さまざまな違いを受け入れながら、 誰もが社会の中で“当たり前に”暮らせる状態を目指す考え方です。
ノーマライゼーションの考え方が、時代とともにさらに広がり、 現在では「インクルーシブ社会」という言葉に発展しているのです。

理想は遠く見えます。
でも、その一歩は、気づきとまなざしから始まります。

◇SDGsが示す、インクルーシブ社会への道しるべ

インクルーシブ社会という考え方について、「それってSDGsのこと?」と感じる方もいるかもしれません。
SDGsは、「持続可能な開発目標」の略称で、2030年までにすべての人が安心して暮らせる社会をつくるため、国連が定めた17の目標のことです。

実際、SDGsには「誰一人取り残さない」という理念が掲げられ、インクルーシブ社会とまったく同じ方向を指し示しています。

たとえば、質の高い教育(目標4)、働きがい(目標8)、不平等の是正(目標10)、
住み続けられるまちづくり(目標11)など、SDGsの複数のゴールが、誰もが自分の居場所を持てる社会の実現をめざしています。

インクルーシブ社会を考えることは、世界全体が進もうとしている未来に向けて、身近な場所から歩み出すことになるのです。

詩の郷のまなざし――ともに過ごす日々の中にある未来

私たち「詩の郷」では、日々、入居者さんと向き合いながら、“ともに暮らす”という言葉の意味を、あらためて感じています。

一緒に食卓を囲んだり、洗濯物を干したり、ちょっとした声かけにうなずいたり、笑ったり、困ったり。
派手な出来事がなくても、誰かが誰かのそばにいること、生活を共有すること――その積み重ねが、「ここで暮らしていいんだ」と思える土台になります。

インクルーシブ社会の実現は、遠い未来の理想ではなく、私たちが今、目の前の人とどう関わるかにかかっています。
これからも、その一歩を大切に積み重ねていきたいと思います。